2025年 夏の旅 残像 もう懐古? 汀で

目を閉じる。

暗闇の中、まるで局部照明のように心がある。

遠すぎないけど、絶対届かないような距離感で。

オレンジに見える時もあれば、

モノクロに見える時もあれば、

時に、水平線に寂しく浮かぶ漁火のような懐かしい光になることもある。

ここは俺だけの海岸だね。

 

海岸で1人座ってる。

俺はどうすればいいんだろう、わからなくて。

色んな感情が介在してる。この気持ちってなんだろう? みたいな便箋をあっちへ投げても、漁火は揺らめくだけなんだ。綺麗なんだ。

触れてみたいよ。俺が本当は何を考えてるのか知りたい。自分を、あの子を、彼を、奴らを、どうしてやりたいのか知りたい。

いっそ空が落ちてきてくれたら楽だ。

星の中、本当に何も見えなくなったら楽だ。

というか宇宙の全てを俺は知りたいんだよ。

その後はきっと何も考えなくていいだろうから。

 

沢山汗をかいたよ。去年より沢山紫外線に晒されました。色んなネオンを浴びました。酒気も、惚気も帯びました。憎みきれなくて、非常に忌々しい今年の夏だ。

まるで迷っているような、おもむろに迷っていくような、とりあえず自縄自縛の夏だった。

君を連れていくような、君に連れられていくような、そんな迷路だった。

沢山痣を作ったよ、色んな場所に。

作ってやったよ夢中になって。

 

とりあえず俺は1人。

この海岸には誰も要らない。

俺の感性っていう狭いスケールの中でもがいてもがいて、詩を書き続けたいな。こういうブログもたまには書きたい。

来年も夏が来るのかー。鬱。

まだ終わってないのにさ。

 

なんてことを考えてました。

海岸で1人。目を開けても真っ暗。

 

 

よるべ

2022/05/07

確かな幸の形。輪郭が見えたぜ。

両手でも抱えきれんくて、全員で神輿みたいに担いで、みんな嬉しそうで俺も嬉しかった。

 

山新しい顔を憶えたぜ。

馴染みの顔も、沢山憶え直した。

これから一生忘れるわけにはいかん顔たち。

これからもしれっと縋りつかせてもらうぜ。

 

人、食べ物、飲み物、音、光。

目がくらむくらい全部眩しかったけど、

それでも目を離せなかった。

瞬間瞬間、全てのシチュエーションが完璧で、ただ俺の至らなさばっかり目立ったけど。みんなが広すぎる受け皿だった。まじでもっと精進するよ。強くなるぜ。

 

きっとな、きっと、

これから沢山尾ひれついて、

俺の口から言葉になる度に、毎度装飾が施されていくと思うんだけども。

初めてのSEXは1度きりですや。大事に大事に美化していこうと思う。

ただでさえ美しかったあの夜の、多少のまだ愛せない部分も、きっといつか1粒残さず愛せる日が来るんや。

人間は素晴らしい。

 

またやるぜ。

次はもっと良い夜作るよ。

自分の心に、また沢山の手形を残してく。

みんなで手を繋いで、目を瞑って、カーテンを閉めて、朝が来るまでにひっそり眠りにつこうぜ。

人生は素晴らしいぞ。

仲が良いとこういうことできるぞ。

 

まじ最高。さいこー!

 

あいかわらず

2022年04月26日、

あいかわらず、

イフクベタカシは生きてるよ。

なんとかではあるが。

飛び交う花粉と、好きでつけてる訳でもないこの潰れっ鼻が、二つの意味で見事にストレスの源泉なわけだが、それ以外は順調。

 

あいかわらず、

今日の俺もロックスターとは程遠いよ。

靴紐を結んでボロボロのコンバースを履いてはみるけど、どうにもマーク・レントンのそれとは程遠いよ。

 

 

「俺はカート・コバーンの生まれ変わりだ!」「俺は田中角栄の生まれ変わりだ!」

壇上、照明の下で恥ずかしげもなくそう言えた大学時代が懐かしいよ。少なくとも今よりは断然ロックスターに近かっただろうな。

 

まぁ思い込みは任意や。

 

 

あいかわらず、

結論をつけるのが苦手なんだ。

何事にも躊躇してしまう。

この迷いを拭い去ることができたなら、俺はもっと、俺が望む俺に近かったはずなのに。

 

尾崎豊は悩んだのかな。

そもそもロックスターはくよくよしないのか。

 

そんな人間いないか。社会のメンタルは急性期真っ只中らしいじゃん。皆、それぞれにそれぞれがもってる外せない足枷だ。外せないなら付き合っていかねば。

 

 

最近、

最近、同い年の友達が出来てな。

浜辺でアイスクリームを食ったんだ。

波の音が良く聞こえた夜だった。

 

 

生まれてから24回目の春が終わったよ。

10歩おきに靴紐を結びなおすのも、毎朝髭を剃るのも、鼻詰まってんのに無理やりかんじゃうのも慣れた。

 

けどやっぱり大一番には慣れなくて。

未だに、ああでもないこうでもないって意味の無い反芻を繰り返してるだけで朝が来る。

まったくもって、社会不適合な有様だ。

こんなみすぼらしいようじゃ、ロックスターにゃ相応しくないんじゃないか。しっかりしろよ。

 

あいかわらず、

ヒーローに憧れてる。

ヒーロー:代弁者。革命家。

どうだろう?ハンマーも革ジャンも実はいらないのかな。

 

俺は音楽以外でヒーローになるやり方を知らない。すべもない。もっとも、仮に俺が空を飛べたって、あのテポドンより速くなきゃ君のことを救えないし。高速でビューーーーンは、絶叫系アトラクションが生涯の宿敵である俺にとってなかなかの難関だぜ。

 

 

 

大1番を控えてる。5月7日さ。

これは、いつかの俺らが望んだ「出番」なのかな。あいつは懲りずに待っててくれてるだろうか。君は喜んでくれるだろうか。

 

 

今持ってる荷物。

ひとつも下ろしたくねーのよ。

もう、足枷って呼ぶのも辞めようかしら。

20余年の付き合いだし、流石にマブ判定かな。

全部抱えて壇上に立つんだ。頑張る。

晴れて、誰の生まれ変わりでもなく、俺は俺になるよ。嬉しいぜ。

 

もしかしたら、

俺は、最初からヒーローでロックスターで俺が望む俺だったんかもしれんし。思い込みは任意。みんなも軽快に思い込んでいこうぜ。

 

 

まぁまぁ、

あいかわらず、こんなですたい。

よしなに。

 

 

vapor

聴きたくない歌を聴いた。

違った聴こえを期待したけど無駄だった。

帯びた酒気が勝手に早送りボタンを押してる3分18秒だった。何回も何回も聴くけど何回も何回も変わらない。

霧雨か、そもそも霧なのか分からない水蒸気のような水の粒子の中を歩いて帰った。

寒くもなく冷たさもなく、ただただ心地良いぬるさで拍子抜けだった。びしょ濡れで帰りたかったのに。

中途半端でいるのが心地よかった。

手を繋ぐ理由も曖昧で良かった。

イヤホンが塞ぐのは片耳だけで良かった。

イヤホンから流れてくる歌の刻みと、踏切が鳴らす音頭のBPMが公倍数を見つけるたび、俺の琴線が揺らされる。

〝撫でるための距離〟と〝傷つけるための距離〟を見分けられることは思ったよりきつかった。できれば、君に何かしてやりたかった。

歌はずっと鳴ってて、俺は繰り返される3分18秒の中で呆然としてる。

色々思い出すから聴きたくない。けど忘れないように聴いてる。こういう浸り方はとてもキモイけど、自傷と自愛は時に同義だ。

俺は俺を愛してやることにしてる。

びしょ濡れで帰れたら楽だった。

もっと笑えたと思う。

もっとアイツを気遣えばよかった。

もっと違った言葉をかければよかった。

カラオケに行きてえ。

 

冬について

真っ直ぐに投げたはずの言葉がことごとく白く濁ってしまうのだ。

それはこの季節のせいです。

そう結論をつけます。

 

 

 

 

最近は水っぱなが収まらす、指の悴みがぬくまらない。それらを堪えながら、蒸発するように寒空にのぼってゆくオーブを追いかけている。

そんな最中、またこ恥ずかしい文章を書くに至ります。

いかに良い夜を過ごし、良い酒を飲み、良い仲間とパッションを分かち、そのヴァイヴスを掲ごうとも、1人でつく帰路を襲う朝方の氷点下を溶かすことは出来ない。

1人ってやっぱ嫌だなぁ、とかさぁ。

個人的に冬という季節の表題色は白だと思っているのだけど、三重県の冬に白はあまり見られず、夜の街は夏や秋と同じ色で光る。

残業の灯りや、男女の交わりの灯りや、家族の温もりの灯りが、喧騒と共に街の装飾を果たすべくの様。

「ありがとう。」と言えない。

「嫌い。」と言えない。

「ごめんなさい。」と言えない。

全てが白く濁るよう。自分が嫌で、いっその事投げ出しては腐ってしまいたくもなる。たまには。

それも、朝を迎えたら全て無くなる。

嬉しいのか悲しいのかも分からん。

でも心地が良くて。寒くて、とてつもなく寒くて、けど、ここに居たいと思ってしまった。

てか暑いより全然いいや、汗をかくのが嫌いだ。

街灯が照らしていない場所から鮮明に見える寒空はまるで宇宙で、それは冬の悪くない点のひとつと言える。

台風

それはそれは目まぐるしい速度さ。

今夜くらいアパートの外壁を打ち付ける痛々しい風の音に隠れ、鼻歌の一つや二つ許してくれよ。今夜くらいあの安如泰山なコンクリートの街をハロウィンのクラブみたいに揺らしてくれよ。今夜くらい肘つっぱりっぱなしのあいつらの力みをとっぱらってやってくれよ。

着飾りなんてするだけ虚しいと教えてくれ。

真正面から吹き荒らして俺らの正装なんて片っ端から意味ないと否定してくれ。

つまるところ、今夜に限らず、誰かがつまらないと感じるそこに、君はいてくれ。

五十鈴川でカッケー濁流をみせてくれよ。

河川敷、浸水しちゃうくらいのさ。

俺に可笑しいものを見せてちょうだい。

けど、くじけそうな人には優しくしてね。弱々しい人には、その背中に吹いてあげてほしい。励ますの得意そうだよ、君は。

そしたらさ、

たぶん俺ら、いい友達になれると思うんだ。

なげえけど、できたらぜんぶよんで

無数に近い文字の海を潜りながら、そこから一際暖かいものだけを手繰り寄せて持ち帰る。その行程は割と俺を満たしてくれるし、インプットした文学的趣向は、恥ずかしながらリリックに顕著に現れる。きっと俺は、好きなものから直で影響を受けるタイプです。

じいちゃんの書籍にほったらかしにされてあった新装版水滸伝全集は、己が骨董品だという自覚がまるでなく、新品同様の面構えであったことから、案外悠悠閑閑なペースで構ってもらえてはいたのかな、などと物思いにふけってみる。

そういうノスタルジックに浸っている間に春は秋になって、父は再婚をして、じいちゃんの書籍はなくなってる。俺は成人してた。

木偶の坊極まりない俺を23の歳まで育んでくれた父を悪者にしたい訳がないし、時の流れを責めたい訳でもない。ただ、際限なくやってくるノスタルジックは、〝今〟に居たい俺を置き去りにする。気づけば日は暮れて、気づけば目の前に明日がある。俺は今日に居たいのに。

美味しいご飯食べ終わりたくないし、好きな歌には終わって欲しくないし、美しい映画をずっと観ているにはどうすればいい。

 

とりあえずたらふくご飯を食べたらお腹はいっぱいになる!みたいな無理やりな結論はつけたくないので、一生満たされない胃袋と、一生食い終わらないビフテキを俺にください。

 

強いての話ならば、文学や音楽は終わらない。

今も世界中で増えてるそれらは、何億光年かけて地球に辿り着く何処かの銀河で燃えてる星の生気のように、時間をかけて、次々と生まれては俺らの目や耳に届こうとしてる。俺や君は、そこから一際暖かいものだけを手繰り寄せてるんだ。

多分俺ら人間は既に数百年前から、常にそういう事をしてる。

なんか伝えたい側と、なんか伝わってる側の相対性である。重要なのは、両サイドとも耳も口もある事。俺は人生をかけて、その両方がひとつについてる根拠を定義したい。

きっと文字も言葉も音もある意味ツールで、そこに宿るメッセージが主役だとしたら、

手に持ってるのがマイクでもペンでも、

ナイフでもマシンガンでも代わりはなく、

きっと暴力だって宗教だって音楽になるんだ。

俺はそういう歌を歌いたい。

まとまんねー。